今年の桜2020

玉川事業場の横須賀線口側にある桜。
今年も咲き始めた。
以前ほど桜を見てもきれいだなあ、と思わなくなった。
よーく見るとわちゃわちゃしてたいしてきれいな花でもない。

一輪で「どうだ!」、と咲く花と違ってこちらは団体戦。
それにしては全体の気迫が薄すぎる気もする。なんかこう躊躇しているような。どうでもいいような。

団体戦ならここは一気に咲いて一気に散る。雨が降る前に何が何でも咲く、やぶれかぶれの激戦を見せてほしいところだけれど。

ただまあ。今年も桜は咲いた。世間には春が来たということだ。うちの春はいつくるだろう。

サクラサク

一昨日の朝。
このところのCOVID騒ぎでわたしの朝は遅い。
正確には起きて→ごみ捨てして→シゴトして→カッコいいやつで出勤というのが日常になりつつある。なんでもありだ。。

大崎で乗り換えてりんかい線に揺られているところに友人からメッセージが届いた。朝6:20に愛犬が旅だったそうだ。脳腫瘍が広がっていて一時はもう難しいかと思ったところから復活。ただの老犬だと笑っていたけれど、こんなに突然にその時が来るとは思わなかったと綴っていた。

こういう時にかける言葉を知らない。

ただ、ものすごく天気が良かったし、桜もほころび始めているし。
旅立ちにはいい日だと、これからずっと一緒にいられるねとだけ返信した。
なんだか泣けてきた。どんだけ鼻水垂らしていても、涙で目がうるうるしていてもおかしな人と思われない。ちょうど花粉症のシーズンでよかった・・。

こういう話を聞くとねぎちゃんを思い出す。
最期の時にはそばに居られなかったけれど、実際はいるのが怖かった。
居なくなるとしあわせだったか、楽しかったかと気にかかる。
けれど、考えてもせんないとある日気が付く。
此岸に居ても彼岸にいても、自分のことすらわからないのに自分以外のことがわかるなど到底ないのだ。
居なくなっても消えはしない、それだけは確かだけれど。

出先から戻る途中に咲いていた会社敷地のMy標準木。他のどの木よりも小さいのに、一番早く一番たくさんの花をつける。
陽ざしはあっても風が冷たい。咲きたての花は瑞々しくて触るとぴりりと敗れてしまいっそうな繊細さ。
この花は旅だったジミーくんに届けよう。

そうして、こちらの花はねぎちゃんに。コーヒーの葉のほうがよかったか(笑)

これは自分の(笑)

門前仲町「ん」の鰹のたたき

コロナだということで自粛。日頃の飲み会も送別会もなんもかんも自粛。
でも、たまにはおいしいものを食べに行こうとしたら、会社の近くは人目につくからよせ、ということで、門仲に鰹のたたきをたべに行った。

ここのお店の特徴は、とにかく部厚い。
以前は酔鯨があったけれど、もうあと1合(それも冷やしてない)しかないということでとりあえずそれをもらう。

鰹のたたきに塩が合うというのを初めて知った。
でも、最近粗食だったので、いきなりたくさん食べすぎて今おなかが苦しい。
しかし、、、意外とチープな感じの料理だった。

〆はTKG!

男女雇用機会均等法がもたらしたのは・・・

男女雇用機会均等法

入社したのは昭和最後の2年前の62年だった。年度は62年度。
この2年後の昭和64年1月8日からが平成に変わった。あともう3ヶ月ほどで昭和64年度が終わるところが、途中で改元となった。
昭和62年は西暦でいうと1987年。この前の年に「男女雇用機会均等法」が施行された。男女雇用機会均等法は正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」というそうだ。1985年に制定され、1986年施行された。内容としては企業の事業主が募集・採用や配置・昇進・福利厚生、定年・退職・解雇にあたり、性別を理由にした差別を禁止することなどを定めている。

最近の女子社員の人生設計

先日会社の同僚(男子)が、「今の若い女子社員は出世も望んでいなくて、そこそこ名が通った会社に就職できたので、あとはゆるゆると過ごしていきたいと思っている」と言った。
ここ数年、せっかく入社しても2~3年で退職する若手が増えていて、会社の中では問題になっているらしい。若手への待遇は手厚くなるばかりで、さりとてやめたがりはなくならないらしい。
前述の発言は、そんな若手社員(女子社員)へのヒアリング結果であるらしかった。「信じられなーい」といった面持ちで語っていたけれど、「信じられなーい」方が信じられなーい、である。それはごくごく当たり前の現象だろう、と思えてならない。

雇用機会均等法ができたころ

個人的にそこまでの待遇の違いがあると感じてはいなかったけれど、世間ではちょうど社会党の土井たか子が台頭してきたころだったし、政治の世界でもとかく派手な色のスーツの女性議員が増えてきた頃だったと思う。右を向いても左を向いても、新しい法律に戸惑うような感じのご時世だった。
たぶん、世の中の女性は今や死語となったウーマンリブを旗印に自分たちも男性と同様に働けると鼻息荒かったのだろうと思う。

雇用は均等になったけど・・

結婚したり、子供が生まれたりすることを契機に辞める女子社員はかなりの数がいた。たぶん入社時の1/3強は女性だったと思うけれど、今残っているのは自分も入れてたぶん2~3人だ。絶対やめないだろうと思っていた同期すら、最後には辞めていった。それは辞めざるを得ない状況もあっただろうけれど、実際のところやっぱり辞めることを前提で就職していた向きがないとはいえない。
一方で、結婚しても出産しても会社を辞めなかった自分には、たとえ休職していても社会保険費の支払いは必要で、収入が0なのに持ち出しで会社の口座に振り込まなければならなかった。もちろん、今でも独身と同じ扱いの税金も保険料も収めている。つまり、扶養家族にはなれなかったということである。7月頃から出産休暇、9月に出産して、続いて育児休暇、翌年4月には復職した。
ちょうどプロプラが廃れて汎用OSであるWindowsやUnixやLinuxが出てきた頃だった。復職してもできることなどないのではないかと焦った。

あれから随分制度もかわった・・

時分のときから数年後にはもう休職中の社会保険費用の支払いは不要になった。結婚を機に異動にこそならなかったのがせめてもの救いだったかもしれないけれど、あれこれ苦労したのが夢のような制度改革が次々あって、今は入社に際しても男女の区別はなし、妊娠・出産して復職した後のケアまで手厚い。女性管理職の少なさを指摘されれば登用枠をわざわざ設けたりする。
従業員を(労働力を)減らさないことのほうが重要だと思われているのだろう。

これ以上ない環境で思うことは・・

以前は子供が熱を出して休むことさえはばかられた時代だったけれど、今は破格の待遇である。自分がどうしてもやりたいこと、がなく会社に居られさえすればよいのなら、会社が言う通りに作業をして息長く暮らしていく方がいい。
女子の待遇改善に躍起になる必要もない、子育ては何より重要な作業で時としてそれは顧客を凌駕する。迷惑をかけるくらいなら、最初から適当なポジションに位置していた方がいい。

・・・だって、それでも待遇は悪くならないんだし♪

というのが今の女子社員のホンネなんじゃないだろうか。確かにどれも大事な作業だし、どれもある意味正しい。

男女雇用機会均等法がもたらしたものは・・

なんだったんだろう・・?
会社人間といわれて24時間休まず働いて、時期が来て定年になったら家の中には居場所すらなかった、という笑えない話があるけれど。女性の社会進出が確かにこの法令を契機に飛躍的に進んだのは確かだ。男性に負けまいと必死で頑張った人たちもたくさんいた。シゴトに時間を割く分手に入れることができなかったことも多々あるだろうし(実際あったし)、なんとか折り合いをつけてシゴトを続けてきた人も多かっただろう。確かにシゴトの場にいれば、忙しく充実した毎日を送れたかもしれない。視野も広がったかもしれない。けれど、家で居場所がなくなったおじさんたちと同様の現象がこれから仕事を辞める女性には起こるのかもしれない。
子供を、家庭を最優先に考えること、あまり苦労せずそこそこの給料をもらうこと、責任をあまり追わず作業できること、女性だからといって軽視されず、でも大事にしてもらえること。
男女雇用機会均等法がもたらしたものは、もしかすると働く女性の発言力と生活の水準を上げただけで、実は法令施行前に回帰しているだけかもしれない。

道端の草になれたら

血止草(チドメグサ)という雑草がある。繁殖力旺盛で半日蔭を好む雑草で、道端でよく見かける。この丸い葉っぱを傷口にぺとっと貼り付けるのかと思っていたら、つぶして汁を塗るのが正しい使い方らしい。

小学校の帰り道。
そもそも学校というところがあまり好きではなかったので、楽しい日はあまりなかった。結構な頻度で帰り道はとぼとぼとくらーい気分で帰ったものである。通学路は開けたとはいえ、田んぼのあぜ道に近くて、周りには草がぼうぼう生えていた。ほぼほぼ家に近いあたり、子供が野球できるくらいのグランドがあったのだけれど、その土手の下の道が通学路だった。舗装もされてなく(のちにアスファルトの道になったけれど)砂利を引いた道で、この辺りまで来るとあまり陽が当たらないせいか、すぐそばに池があったせいかいつもジメジメしていた。

その土手下あたりに群生していたのがチドメグサである。春になると雑草といえども色とりどりの花が咲いて、夏休み明けにはどんだけ伸びたんだというほど草の生い茂った道端だった。

楽しくない帰り道、凹んでとぼとぼと帰る帰り道は、学校で面白くもなく、帰ってからも面白くもないことへのいら立ちと情けなさと。いろんな感情がもみくちゃになって、これを1年といわず何年も続けたのだから、我ながら立派である。

帰り道、この土手下まで来るといつも思った。
この草になれたら世間はどう見えるんだろう、と。
たいして変わり映えしない毎日で、雨風遮るものもないけれど、もしかしたら頑張る必要もなくのんきに暮らしていけるんではないかとよく思ったものである。

そして、もう50年近く経とうとした今でも、ついそんなことを考える。
雑草に感情はないかもしれない(音楽を聞かせるとおいしくなる果物やトマトはあると聞いたことはあるけれど)。雑草自体にはあまり価値もないかもしれない。

雑草に限らず、この世の生物の目的は繁殖し繁栄することだと聞いたような気がする。たとえ意味も価値もなくても、淡々と日々成長し、種を飛ばし、芽生えて広がっていく。とてもシンプルな生き方だけれど、負けない強さがある。自分自身はそこを動くことはなくても、飛ばした種はいろいろな形でいろいろなところへ旅をするのだろう。

とても、今日が嫌だからと言って、簡単にはなれそうにはない。
それでも、怒られてばっかりの憂鬱な毎日に居て、この草になれたら、、と考えるのは少し救いだったな、と今思う。今でもそう思う。

0(ゼロ)オリジン(2)

オシゴトの環境変化

ジョブ型にシフトしようとする動きがあることは前に書いた。そうして、おそらくそれはすぐに成果が出るほど簡単な選択ではないことも。
特にここ数年でシゴトをする環境は劇的に変わった。パソコンすら1人1台もなかった時代に入社したくらいだから、今の会社の状況を見るとSFの世界が現実になったと言っていいくらいの変化だ。
モバイルPC、携帯、クラウド環境を基盤として、電車の中だろうが布団の中だろうが、どこからでもシゴトができる環境にアクセスすることができる。なんなら非常識を承知で電車の中からでも会議に出ることができる。便利なんだか便利ではないんだかよくわからない。 だんだんと会社と生活との境界線がなくなりつつある。

専門性は運次第

最近、入社の時点で専門性を武器として入社してきた新卒社員に、古参社員と同様能力給を出すという会社の記事を見た。
NEC、新卒採用に“能力給”導入
働き方改革は、労働人口の減少に対する対応策だと言ったけれど、実際にはそうではない。ジョブ型のように「シゴトを選ぶ」だけのスキルを持った人材が不足するだけで、いわゆる定型作業を行う人材がたくさん増えてもそれはそれで解決にはつながらない。
ところで、専門性というのは、天性のものではないから一朝一夕に得られるものではない。と、少なくともわたしはそう思っている。もともとこれを極めたいと思いながら勉強をしてきた学生ですら、会社に入れば思い通りの部署で思い通りのことができるとは限らない。会社が人を募集する際には、会社のコンセプトを掲げて募集するわけだから、中にいる個々の社員が自分がそのコンセプトのどこを担っているのかわからないのと同様に、コンセプトだけ掲げられた学生がそれだけでどのような作業が待っているかなど知る由もないわけだ。ただ、入社すれば給与と福利厚生は約束される。
最初に配属される先は会社の都合で決められるので、入ったはいいが現実が全然違うといって辞めていく社員も増えてきたらしい。そうでなければ、専門性は入ってから徐々に経験を積んで培われていくことになる。裏を返せば、配属先で何を専門とするかが決まってしまう。
将来性のある専門領域ならいいだろう。あるいは、未来に渡ってつぶしの効く職種でもまだいい。最悪なのは、会社の方針転換で撤退する事業に関わっていたり、他では使い道のない領域に関わっていた場合である。それも、大所帯で考えることなく言われた通りに作業をするような役割を与えられていた場合はさらに最悪である。

0(ゼロ)オリジンの世代

人は楽な状況に慣れるとそれ以上のことをあまりしなくなる。
せっかくの機会だからと新しいことに興味を持ったとしても、自分の作業をおろそかにすることもできない。
これと言った専門性がないまま時間をすごすことになる。
こういう人が明日からジョブ型だといわれて、さて、どのような役割に応募すればいいのだろう。まさに0オリジンの状況で始めなければならない。
そして、そういう時間を過ごしてきた世代は、押しなべて今会社の中で高齢層に属している世代なのである。

0オリジン世代のトリセツ

0オリジン世代の特徴を挙げるとしたら・・こんな感じか。
・頑固である
・変化を嫌う
・会社のせいにする
要は年寄りである。新しいことに取り組もうにも頭は固くなり物忘れもひどい。そうかと言って会社にここまで貢献したとい自負もある。こういう世代なら、ちょうど子供が成人するかどうかという年代なので、会社にしか居場所がない人もいるだろう。やったことがないのだから、やれば失敗する。失敗すると笑われるから失敗はしたくない。いろんな葛藤の中で、少なくとも今のポジションとステータスに固執する。極端かもしれないが、あながち外れているとも思えない。
如何せん時代の変化が速すぎるのである。若手のエンジニアですら、もう終わったと思うことも少なくないらしい。ハンデのある年寄りがいきなりチャレンジしても返り討ちがいいところだろう。クビが飛ばないだけいいようなものである。
では、、0オリジン世代はどうすればいいんだろう・・。
答えは一つしかないと思う。
0オリジン世代が生き残りをかけて自己改革できるかどうか。
恥も外聞もなくかなぐり捨ててチャレンジしてみるとか、自分はこれならできるという意思表示ができるかどうかだと思う。

こういうのはきっとこれまでの歴史に何度もあったことなんだろうな。

天井のヒカリモノ

いつ頃だったか。。。よく覚えていないけれど、たぶん小学生の頃だったと思う。平屋建て県営住宅の天井はオオミズアオ色のプレートのような建材でできていて、一辺が50cm~60cmくらいだったのではないかと思う。これを並べて打ち付けてある。必然的に境界線があって、毎夜寝るときに電気を消すとその中のなぜか一遍だけがぼーっと明るく見えるという現象があった。
一度だけ親に言ったことがあったけれど、相手にされなかった記憶がある。
それ以上でもそれ以下でもなく、そのうち二段ベッド導入してからは、その角度からは見えなくなったので、原因はわからないまま。
一部屋増築してからは、そちらで寝起きしていて、その部屋は親の部屋になったからそれきりどうなったかわからない。

今だから考えられること。
どこからか入る灯りが漏れていたのかもしれない。みんな電気を消して寝静まった後だから考えにくいことだけれど。
単純にそこだけ蛍光塗料のようなものが付いていたのかもしれない。
目が悪かっただけかもしれない。
どれも今一つピンとこないけれど、もう何十年も前の話でその家は解体されて跡形もないから確かめる術もない。

ただ、あの家は今思うと本当に狭かった・・。今だったらきっと暮らせないかな、とは思う。
ただ、毎日窓から見えた竜王山のテレビ塔とか、庭先で育てたネギとかきゅうりとか。懐かしいものもたくさんある。

0(ゼロ)オリジン(1)

ゼロオリジン

オリジン(Origin)、というのは直訳すると「原点」である。原点というからにはそこを「起点とする」ということになる。だから、ゼロオリジンというと0を起点として、という意味で、1オリジンというと1を起点として、という意味になる。
よく似た感じの言葉にOriented(~志向の)という言葉がある。便利なのであちこちで見かける。IT関連だとdata-oritented、user-orientedなどなど。これはどちらかというと、起点というよりは「優先的に考える」というベクトルを示した言葉だと思う。もう一つ、Baseline(ベースライン)という言葉も少し似ている。こちらはその通り基準線という意味なので、点であるオリジンと比べると複数の要素をまとめた状態を表している。

さて、冒頭の0オリジン。要は0からの出発なわけで、何もない状態から始めるという意味に転用できる。同じ意味で0ベースという言葉もよくつかわれる。とにかく何もないことである。

働き方改革のもたらす悪癖

最近「働き方改革」で個人や企業にスポットを当てた取り組みをよく見かけるけれど、単純に労働時間を短くしたり、働く場所を自由化しただけでは、会社としては投資ばかりがかさんで回収に至らないことが容易に想像できる。つまり、残業込みで達成できていた成果が残業なしになって今日明日出せるものではないということである。ヒトの性質を考えると、楽なものにはすぐに慣れてしまうので、このまま放置すればおそらく社会的な体面は保てても成果はダダ下がりになる。働き方のマイナス面である。
そこで会社も考えた・・・んじゃなかろうか。「ジョブ型」という考え方が出てきた。出てきた、というわけではなく、もともとあったものだろうと思う。ただ、これまで顕在化してこなかっただけで。

ジョブ型とメンバーシップ型

ジョブ型の対向用語はメンバーシップ型だそうだ。メンバーシップ型はいわゆる年功序列方式、一括採用方式でこれまで(今でも)主流の会社の雇用方式である。会社主体なので、自由度は少ないかもしれないが使える社員になるべく会社がケアしてくれる。また、保障も手厚い。
一方のジョブ型は、平たく言うとその反対で、仕事ありきで人と契約する雇用方式になる。その仕事ができることが前提条件となるわけだから、当然会社側は教育したり、契約以上の保障もしなくてもよくなる。雇われた方も、自分が売りにしている能力を買ってもらうわけだから単金は高いだろうし、契約内容にないことまでする必要がない。一見Win-Winに見えるけれど、会社で働く人全員がジョブ型になると、契約だけで大変なことになるような気がする。

会社の構造

今でもそうだけれど、会社には会社としての存在意義がある。つまり、社会に対してうちの会社はこうやってお役に立てます、というコンセプトのようなものである。ニーズがあれば売れるし、なければ振るわない。その辺は、スーパーで売っているモノと変わらない。もう一つブランドという側面もある。対してデザインもよくないし到底普段使いにできないでしょ、というモノでもLouisVuittonなら売れるというのと同じで、歴史と積み重ねた実績・信頼で裏打ちされた会社の価値のようなものもある。そして、それらの会社は長年メンバーシップ型の雇用を続けてきた。
会社に入るとわかるが、自分のやっている作業が会社のコンセプトのどのあたりに位置するモノなのかを見ることは難しい。全体としての方向性が大幅にずれていない限り、、、例えば、IT企業がうどんを作るということでもない限りは、会社は利益を追求する組織だから予算必達が命題で、さまざまな作業を請け負いこなすわけで、余計見えにくくなる。個々の位置から全体が見えなくなるなら、逆に上から見て個々の社員が何をしているのかなど見えようもない。そこは巨大なヒエラルキー構成の中で直近が下を見る(良くて上の上くらいまでは見るかもしれない)という構造でなんとか凌いでいくことになる。
個々=一人ひとりの社員は人なので個性もあれば個体差もある。むしろ、全員が全く同じ状態ならクローンのようで気味が悪い。
そして会社には時として利益を追求するために大幅な方向転換や組織の改正がある。
そこではどうしたって、スピンオフしてしまう個体が出てしまうのは当たり前の理屈である。
・いわれたことをこなすのに慣れてしまう
・会社が決めてくれる
・さぼってもわからない
こんな個体はおそらくどこの会社を見ても必ずいる。押しなべて個人が悪いというよりは大半は会社の責任だが、その会社も変えなければ倒れてしまうので責められないというこちらはLose-Loseの関係にあるように思う。

会社はジョブ型に移行できるのか?

思うことだけ言ってしまえば、できない。
ジョブ型の特徴はシゴトありきで人を割り当てる、である。もっと言えば、シゴトありきで応募した人の中から割り当てる、となる。必然的に上司は上司という「役割」に対して、部下は「部下」という役割に対して、つまり、そのシゴトを構成する業務の役割と活動の募集に対して応募する。
よくシゴトを取って、協力してくれるパートナー社員を探す、ということをするけれど、極論それと同じことを会社の中でやろう、ということである。
気の遠くなるリスクとオーバーヘッド。
もちろん社員が全員個人事業主ならともかく、シゴトを受けないからといって会社は雇用契約をしているので、給料は支払わないといけないし、福利厚生も手厚くしなければいけない。これでは、よほど残業代が欲しい人以外はWin、会社はLoseの関係になる。
では、全員個人事業主にしたら?まず、会社の組合は解散になるので、面倒な交渉はなくなる。社員は一人ひとり自分に対する福利厚生を考えないといけなくなる。シゴトも自分からやります、やらせてくださいと言わなければなくなる。個人事業主なので、最低賃金の保障はない、ただお金が入らなくなるだけである。会社は社外からでも好きなだけ人を雇えるようになり、福利厚生も考えなくてよくなるので、結果的にうまく回れば成果は出るだろうが、何を売りにしているのかよくわからない集団になる。いいとも悪いともつかない主体が2つこれもまたLose-Loseの一つの姿である。
おそらく、会社という組織において、ジョブ型の雇用ができるのは、マネジメントを売りとする会社なのではないか。モデルエージェンシーとか商社とか、芸能プロダクションもそうかもしれない。つまり、マネジメントする対象はすべて外から雇うのが当たり前の会社である。

ジョブ型移行のジレンマ

今あまたある会社をせ~の!でジョブ型にシフトすることは難しい。というより土台無理な話である。逆に会社のすべてをジョブ型にすること自体が非効率につながる。会社には受けたシゴトをこなすためにある程度の労働力のストックが必要で、ストックした労働力をストックで賄いきれないだけのシゴトを請け負うことで利益を出す。そこにジョブ型の要素はあまりない。あったとしても請け負ったシゴトの中でどれをやりたいか程度のものだし、シゴトをストックに選ばせては効率化は図れない。もっと言うとストックは必ずしもジョブ型志向の個体で構成されていないのが現実なので、ストックの中で比重にばらつきが出る。負荷が重い個体は作業をこなすだけでいっぱいになる反面、この個体が一番ジョブ型に適したモチベーションを持っているのだから性質が悪い。これがジョブ型移行のジレンマだと思う。
一日の労働の中の20%を新しい領域へのチャレンジを行うとか新しい取り組みを考えることに使う、とか。いろいろな提案が会社からは出てくる。苦肉の策なのだろう。
会社の中で各部署からお願いしたいシゴトをエントリし、それに応募してもらうというう企画もあった。
結果はいずれも惨憺たるものである。どうしてか。

ジョブ型移行のカギは

ジョブ型雇用はシゴトありき。ジョブに応募するにはそのジョブの特性に応じた専門性が必要なものである。専門性とはなにか。その領域のプロであり、高い生産性と場合によっては付加価値を提供できることである。ただの素人が1日の20%考えたり、小作業とはいえやったこともない作業に応募したくらいでジョブ型移行にはたどり着けない。
そもそもジョブ型の大前提が「個人」なのだと思う。自分もしくは自分が率いる組織がその領域について高いスキルをもっていなければジョブ型には移行できない。同じ理屈で、組織に所属するメンバも全員高いスキルと知見を持っていなくてはいけない。日々自己研鑽し磨き上げていくルーチンがない状態ではとてもそんな状態にはならない。
裏を返せば、そういう状態になればジョブ型の契約はできるということになる。
「その領域のプロ」という言葉を敢えて使った。プロといわれる人は、その専門的なスキル以外に社交性、交渉力、専門以外の知識といったフルレンジの要素を備えていることが多い。専門性だけではプロにはなれない。

会社はジョブ型に移行できるか。「育てる」という概念から「自ら学ぶ」という概念へ。「ただの配属先の組織」から「目的を持った個人の集まり」という概念へ。どこまでシフトしていけるかが、一つのカギになると思う。
日立の雇用改革 その本気度は?

郵便番号732 西条東517-1の32号

むかしむかしの住所である。近隣の町村合併で市になる前で、小学校はまだ町立だった。
保育園に通った2年間(年中は黄組で、年長は緑組だった)のうち、最初の1年の途中で移り住んだと思う。それから高校生になっても、まだそこに住んでいた。県営の住宅である。
1軒が2世帯。平屋建てで1軒の広さは2DK。一応お風呂もトイレもあったけれど、なんもかんも木造で屋根はスレートだった。壁はぬりかべ。
子供の頃はわからなかったけれど、32号は敷地内で一番低いところにあったせいか、水が溜まりやすく、やたらと湿気が多かった。箪笥の化粧板ははがれてボロボロ、テレビがショートしたこともある。
家の外にはミミズ、ダンゴムシ、なめくじのオンパレード。台所の砂糖にありの行列ができたこともあった。コックローチを通り道に吹いて寝ると、朝ゴキブリを踏む。イタイ。夜中に目が覚めてのどが渇いた、と思ったら、台所のタッパ(洗わずに寝てしまったのだろう)の中に巨大なヤマトゴキブリがいて、黙って電気を消して寝たこともある。
梅雨時の夕立では住宅中の雨が集まって床下浸水した。
家々を隔てる仕切り(今調べるとマサキという樹木。秋にはオレンジ色の実がなった)にはなぜか夏ごとに大量のしゃくとりむしが発生し、ほぼ全部がシャクガ(ユウマダラエダシャク)に成長した。ヒトの目のような文様が嫌いで、飛ぶとなぜかこちらに直進してくるので、必死で逃げた。

冬は窓ガラスについた水滴が凍って結晶を観察できた。もちろん窓は木枠である。家のドアも便所のドアも全部木製。一番上のガラスだけ透明であとはすりガラスだった。今どきすりガラスも珍しい。
レトロな扇風機しかなかったところへ、ある日ウィンドファンがやってきた。窓に着ける扇風機のようなもので冷房機能はない。でもうれしかったっけ。

中学生になってから、父親が庭をつぶして一部屋増やした。今思うと器用な人である。ガラスはサッシだった。壁はベニヤ張だったけれど、間には断熱材が入っていて、なんとエアコンがついた。壁に取り付けるタイプのエアコンである。

確か高校生になるころ、平屋建ての家は壊して鉄筋コンクリートの今の住宅に建て替えられた。4階建て。うちは確か3階だった。フローリング、サッシ、ベランダ、コックピットに入るようなユニット式の様式トイレにお風呂。
荷物を入れるとあっという間にいっぱいになった。

ここから嫁に行ったし、一人息子はここで預かってもらった。家族は5人だった。自分の部屋もなく、言い訳のようにプライバシーがないのはいいことだと言われてうんざりしていた。もうかれこれ25年も前の話である。自分はもうじき56歳で、シゴトについてしばらくしてから2年くらいは広島市内に住んでいたから、ちょうど県営住宅で過ごした時間と同じくらい今の家で過ごすことになる。

今でもどこかで似たような住宅を見ることがある。きれいに手入れされていたり、廃墟に近かったりと容貌は様々だけれど。
あの頃は本当に貧乏だった・・・。いい思い出を探そうとしても、いやな思いでばかりが浮かんでくる。自分の家がそこだと、どれだけ人に知られたくなかったか(笑)。

今はねぎさんが荒らし放題に荒らした家の壁紙やふすまを見て、これはこれで人には見せられないと思うけれど。それでもここは一生懸命働いて手に入れた自分の家だ。それだけはうれしい。

SNSは誰のため

Facebookの投稿はわりとよくするほうだと思う。つながっている友達の多くは同級生で、当時あまり縁のない人も多い。考えてみればそれもまた不思議な縁である。
Instagramも自分でいい写真が撮れたと思えば投稿する。人を撮ることはまずない。たいてい風景だったり、電車だったり。
どちらも時間に縛られない情報共有型。投稿してもしなくても、投稿を見ても見なくてもどちらでもいい。このゆるさ。けれどどこかに「属している」という感覚がいい。
LINE。使いはするけどめったに使わない。これなしでは生きていけないという人もいるけれど、生きてる。相手に必ず返信を期待するインタラクティブ型。めったに使わないけれど、使うときには使う。PCを開いているときには、LINEよりもMessengerを使うことのほうが多い。シゴトがらタイピングはそこそこ速いので、PCで使えるMessangerのほうが便利。

けれど、、あれだ。最近ちょっと疑問に思えてきた。
InstagramやLINEはともかく、なにかを広告したいというわけでもくFacebookに投稿するのはなんだろう?やっぱり、誰かに何か言ってほしいからだろうか。投稿するときは比較的長い文章を書く性質だ。自分の書いたものを何度も推敲して投稿する。SNSとは言えないおそろしくまどろこしい投稿は、つまるところ何か書きたいからなのだと最近気が付いた。文章をおこすという作業は、アタマの中を整理するのに役にたつ。表現することで自分の言いたいこととか、考えていることが自然と整理されることがある。誰かに説明しながら自分でそういうことか、と納得するのに似ている。でも、それならばいっそSNSでなくてもいいんぢゃない?

ということで、サーバをレンタルしてブログサイトを立ち上げてみた。
決まったテンプレートの範囲ではあるけれど固定ページも作れるので、これでポータルも作ってみた。お気に入りのリンク集みたいなものである。ブラウザのトップページをいちいちパソコンに保存していなくてもどこからでもっ見ることができて作業ができる。
スマホでもパソコンでもほぼ同じような操作性と見た目なので、Facebookのように出先で撮った写真をそのままアップすることもできる。Facebookにもあるけれど使えたことのない下書き機能も用意に操作できる。便利である。

FacebookはFacebookでよいとして、当面日々思うことはここに書いていってみようと改めて思った。