0(ゼロ)オリジン(2)

オシゴトの環境変化

ジョブ型にシフトしようとする動きがあることは前に書いた。そうして、おそらくそれはすぐに成果が出るほど簡単な選択ではないことも。
特にここ数年でシゴトをする環境は劇的に変わった。パソコンすら1人1台もなかった時代に入社したくらいだから、今の会社の状況を見るとSFの世界が現実になったと言っていいくらいの変化だ。
モバイルPC、携帯、クラウド環境を基盤として、電車の中だろうが布団の中だろうが、どこからでもシゴトができる環境にアクセスすることができる。なんなら非常識を承知で電車の中からでも会議に出ることができる。便利なんだか便利ではないんだかよくわからない。 だんだんと会社と生活との境界線がなくなりつつある。

専門性は運次第

最近、入社の時点で専門性を武器として入社してきた新卒社員に、古参社員と同様能力給を出すという会社の記事を見た。
NEC、新卒採用に“能力給”導入
働き方改革は、労働人口の減少に対する対応策だと言ったけれど、実際にはそうではない。ジョブ型のように「シゴトを選ぶ」だけのスキルを持った人材が不足するだけで、いわゆる定型作業を行う人材がたくさん増えてもそれはそれで解決にはつながらない。
ところで、専門性というのは、天性のものではないから一朝一夕に得られるものではない。と、少なくともわたしはそう思っている。もともとこれを極めたいと思いながら勉強をしてきた学生ですら、会社に入れば思い通りの部署で思い通りのことができるとは限らない。会社が人を募集する際には、会社のコンセプトを掲げて募集するわけだから、中にいる個々の社員が自分がそのコンセプトのどこを担っているのかわからないのと同様に、コンセプトだけ掲げられた学生がそれだけでどのような作業が待っているかなど知る由もないわけだ。ただ、入社すれば給与と福利厚生は約束される。
最初に配属される先は会社の都合で決められるので、入ったはいいが現実が全然違うといって辞めていく社員も増えてきたらしい。そうでなければ、専門性は入ってから徐々に経験を積んで培われていくことになる。裏を返せば、配属先で何を専門とするかが決まってしまう。
将来性のある専門領域ならいいだろう。あるいは、未来に渡ってつぶしの効く職種でもまだいい。最悪なのは、会社の方針転換で撤退する事業に関わっていたり、他では使い道のない領域に関わっていた場合である。それも、大所帯で考えることなく言われた通りに作業をするような役割を与えられていた場合はさらに最悪である。

0(ゼロ)オリジンの世代

人は楽な状況に慣れるとそれ以上のことをあまりしなくなる。
せっかくの機会だからと新しいことに興味を持ったとしても、自分の作業をおろそかにすることもできない。
これと言った専門性がないまま時間をすごすことになる。
こういう人が明日からジョブ型だといわれて、さて、どのような役割に応募すればいいのだろう。まさに0オリジンの状況で始めなければならない。
そして、そういう時間を過ごしてきた世代は、押しなべて今会社の中で高齢層に属している世代なのである。

0オリジン世代のトリセツ

0オリジン世代の特徴を挙げるとしたら・・こんな感じか。
・頑固である
・変化を嫌う
・会社のせいにする
要は年寄りである。新しいことに取り組もうにも頭は固くなり物忘れもひどい。そうかと言って会社にここまで貢献したとい自負もある。こういう世代なら、ちょうど子供が成人するかどうかという年代なので、会社にしか居場所がない人もいるだろう。やったことがないのだから、やれば失敗する。失敗すると笑われるから失敗はしたくない。いろんな葛藤の中で、少なくとも今のポジションとステータスに固執する。極端かもしれないが、あながち外れているとも思えない。
如何せん時代の変化が速すぎるのである。若手のエンジニアですら、もう終わったと思うことも少なくないらしい。ハンデのある年寄りがいきなりチャレンジしても返り討ちがいいところだろう。クビが飛ばないだけいいようなものである。
では、、0オリジン世代はどうすればいいんだろう・・。
答えは一つしかないと思う。
0オリジン世代が生き残りをかけて自己改革できるかどうか。
恥も外聞もなくかなぐり捨ててチャレンジしてみるとか、自分はこれならできるという意思表示ができるかどうかだと思う。

こういうのはきっとこれまでの歴史に何度もあったことなんだろうな。

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