郵便番号732 西条東517-1の32号

むかしむかしの住所である。近隣の町村合併で市になる前で、小学校はまだ町立だった。
保育園に通った2年間(年中は黄組で、年長は緑組だった)のうち、最初の1年の途中で移り住んだと思う。それから高校生になっても、まだそこに住んでいた。県営の住宅である。
1軒が2世帯。平屋建てで1軒の広さは2DK。一応お風呂もトイレもあったけれど、なんもかんも木造で屋根はスレートだった。壁はぬりかべ。
子供の頃はわからなかったけれど、32号は敷地内で一番低いところにあったせいか、水が溜まりやすく、やたらと湿気が多かった。箪笥の化粧板ははがれてボロボロ、テレビがショートしたこともある。
家の外にはミミズ、ダンゴムシ、なめくじのオンパレード。台所の砂糖にありの行列ができたこともあった。コックローチを通り道に吹いて寝ると、朝ゴキブリを踏む。イタイ。夜中に目が覚めてのどが渇いた、と思ったら、台所のタッパ(洗わずに寝てしまったのだろう)の中に巨大なヤマトゴキブリがいて、黙って電気を消して寝たこともある。
梅雨時の夕立では住宅中の雨が集まって床下浸水した。
家々を隔てる仕切り(今調べるとマサキという樹木。秋にはオレンジ色の実がなった)にはなぜか夏ごとに大量のしゃくとりむしが発生し、ほぼ全部がシャクガ(ユウマダラエダシャク)に成長した。ヒトの目のような文様が嫌いで、飛ぶとなぜかこちらに直進してくるので、必死で逃げた。

冬は窓ガラスについた水滴が凍って結晶を観察できた。もちろん窓は木枠である。家のドアも便所のドアも全部木製。一番上のガラスだけ透明であとはすりガラスだった。今どきすりガラスも珍しい。
レトロな扇風機しかなかったところへ、ある日ウィンドファンがやってきた。窓に着ける扇風機のようなもので冷房機能はない。でもうれしかったっけ。

中学生になってから、父親が庭をつぶして一部屋増やした。今思うと器用な人である。ガラスはサッシだった。壁はベニヤ張だったけれど、間には断熱材が入っていて、なんとエアコンがついた。壁に取り付けるタイプのエアコンである。

確か高校生になるころ、平屋建ての家は壊して鉄筋コンクリートの今の住宅に建て替えられた。4階建て。うちは確か3階だった。フローリング、サッシ、ベランダ、コックピットに入るようなユニット式の様式トイレにお風呂。
荷物を入れるとあっという間にいっぱいになった。

ここから嫁に行ったし、一人息子はここで預かってもらった。家族は5人だった。自分の部屋もなく、言い訳のようにプライバシーがないのはいいことだと言われてうんざりしていた。もうかれこれ25年も前の話である。自分はもうじき56歳で、シゴトについてしばらくしてから2年くらいは広島市内に住んでいたから、ちょうど県営住宅で過ごした時間と同じくらい今の家で過ごすことになる。

今でもどこかで似たような住宅を見ることがある。きれいに手入れされていたり、廃墟に近かったりと容貌は様々だけれど。
あの頃は本当に貧乏だった・・・。いい思い出を探そうとしても、いやな思いでばかりが浮かんでくる。自分の家がそこだと、どれだけ人に知られたくなかったか(笑)。

今はねぎさんが荒らし放題に荒らした家の壁紙やふすまを見て、これはこれで人には見せられないと思うけれど。それでもここは一生懸命働いて手に入れた自分の家だ。それだけはうれしい。

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