チョキの木

服を買うときは、生協かUNIQLOかヤフオク。ちょっといい服が欲しいときはたいていヤフオクで探す。
こないだパーカーが欲しくて探していた時、杢ベージュ(に見えた)古着があったのでこれがいい!と思ってGetしたら・・・届いたのを見たらなんかとんでもなくグレーだった。よく見るとグレージュとか書いてある。。まぎらわしい。(ーー;)

古着なので、時々ダメージがあるものもあるけれど、これはなんか着心地がよさそうだったので購入した。この手のものは定価だと高額だけれど、洗濯で傷みやすいものなので、中古になると割と安い。

ダメージはフードに開いた穴。これくらいならフェルトアップリケで直せそうだと思ったら、なんと、フェルトがない。持ってきていたような気がしたけれど気のせいだったか。。

結局高い買い物につく気もしたけれど、Amazonプライムで980円40色のフェルトを買った。アップリケは脩ちゃんが小さい頃作った絵本に出てきたチョキの木に決めていたので、緑と茶色があればよさそうなものだったけれど、そこは安物買いの銭失い根性。

届いたのはちょっと質の悪いフェルト40枚に針、糸、鋏、さし。
お得なんだかお得でないのかよくわからない。どれもチープと言えばチープな感じ。

いざちくちく縫い付けてみると意外と楽しい。
ただ、ほんもののチョキの木はもう少し葉っぱが細かった気がする。
今度帰ったら絵本を出してみてみよう。
どうしてチョキの木だったんだろう。あのときもう少し聞けばよかった。。

ずまめ5分クッキング:UFO焼きそば

先日会社で聞いたUFOの食べ方。麺の下にキャベツを敷いて、麺を戻して熱湯で三分、というもの。

ソレなら炒め物用カット野菜をレンチンしても使えるんじゃないかと思いやってみた。

UFOにお湯を入れて3分待つ間に野菜と豚肉を3分レンチン。レンジがチーンといったらお湯を捨てて野菜とソースと混ぜ混ぜ。

常々UFOのソースは濃くて量も多いと思っていたので、これはいい感じ。

でもやっぱり焼きそばはオタフクソースで直火焼きのほうがおいしいなあ(¯―¯٥)

JR貨物更新色

一昨日撮ってきた写真を眺めていたら、機関車もいろいろな塗装があるものだと思い調べてみたのでおぼえがき。

大宮更新色:牛乳パック

広島更新色:水色みたいな色と、国鉄色(青色)にドアだけ黄色のパターンがある

国鉄色:八王子で見た6437の色。これとは別にぶどう色2号という茶色の色がある。

EF65 1025 青いプレート 牛乳パックみたいな塗装は大宮更新色。
EF65 2050 2020年で50歳らしい。写真が見切れてプレートの色まで見えない・・。なんと広島更新色。ドアがからし色に塗られているのが広島更新色。
EF65 2068 赤いプレート 八王子のEF64とおんなじくらいピカピカしていると思ったら国鉄色に塗装されなおした車両。

更新色、というのがよくわからなくて、いろいろ探していたら、横川で会った瀬野八の動画があった。現役バリバリの頃の雄姿。これは本当にかっこいいと思う。
カモメ眉毛のEF58(ゴハチ)も写っている。いたいた、、思い出すことがいっぱいある。

横川の碓氷峠鉄道文化むらにあるEF63は動態保存されている機関車で、去年の5月に行った際には誰も乗る人がおらずさびれた感じを受けたけれど、これも昨年9月にこんな記事が出ていた。
予約が取れないほどの人気・・・あああ、ほんとによかった~と思った(´;ω;`)。
それもかの有名なサライの記事。重連での走行もできるそうだ。鉄道文化むらなめてました。ごめん。
また行こう・・・。

ずまめ5分クッキング:ツナサンド

最近は便利なことにパンに塗って焼くだけのミックス材料があって、マヨネーズのような容器に入って売っている。
が、焼かない。焼かないので、焼かずにできるものを探したら一つだけあった。「ツナマヨネーズ」

このあいだ間違えて買ったイングリッシュマフィン(冷凍してある)を電子レンジで500W50秒チンして、熱々のところにこれを塗る。

野菜はカットしたものを乗っけて、乗り切らなければサラダで食べる。
せっかくなので珈琲も入れると、カフェメニューのようである。#ぜんぜんちがう…(¯―¯٥)

ちなみにイングリッシュマフィンはぱらぱらと粉が落ちる。確かコーングリッツとかいうやつ。解凍したラップの上で作って、そのままラップごと持って食べると、手も汚れないのでよい。

少し薄めの珈琲によく合う。我ながら上出来じゃ。

手作りマスク その1

なんだかんだ言って春を通り越していきなり夏の陽気すら感じる。
そしてまた月曜日から寒のもどりらしい。

秋から春までのマスク着用は、風邪の予防以外にも乾燥対策だったり、なによりマスク1枚で服1枚違うんではないかと思うくらいの暖かさだったり。
逆に汗をかく時期のマスクは、不織布と皮膚がこすれて痛い痛い。

けれど今年は下手をするとそういうことになるかもしれない。
なにより今のままだとマスクが足りなくなる方が先な気がする。

ちなみに、トイレットペーパーやティッシュは飛ぶように売れるらしく、今日もドラッグストアの棚は空だった。これはきっと平日に行かないとだめだな。テレワーク活用で買いに行こう。

そんなわけで、マスクを手作りしてみることにした。
材料はAmazonで調達。さすがにアンテナの高いヒトが多いらしく、こちらもマスク手作りを十分意識したお店が多い。

ダブルガーゼ、ゴム、不織布のマスクシート。まずはこれをGet。
ゴム紐を買ったつもりがスカートのベルトに使うナイロンインベルが届いて、間違いじゃないかと思ったらしっかりそれを注文していたという顛末もあったけれど、なんとか週末までに材料がそろった。最近AmazonPrime使いまくりなので元は取れている気がする(1年になぜか値上がりして5000円も取られるのでしっかり使わないといけない)。

それでマスク。
まずは生地の水通し・・えーー、と思ったけれど洗濯機でガラガラ回して、窓際に干して乾かす。
そしてアイロン。
長いほうが16.5cm、短いほうが10cm。
長いほうが三つ折りの長さが必要で、短いほうは2つ折りの長さがあればいいのに、間違えて三つ折り分で裁断・・さすがに9重ガーゼでは部厚すぎるので泣く泣く裁断。さらに長いほうも50cmで裁ったはずがなぜか7cmほど長いので裁断。このあたりが適当で向いてない証拠だ。

うちに帰ればダブルガーゼ(ただし花柄)がいっぱいあるのにね、と思いながらちくちく。持ってきていた花柄ガーゼの生地と併せて、全部で7枚できた。
これで使い物にならなかったらどうするんだろうか。。

明日試着して使い心地をチェックする。

・・・ダブルガーゼは生成りで、これとは別にゾウサン柄の6重ガーゼの生地も買ったけれど、そちらはまだ手付かず。

ずまめ5分クッキング:つけめん

昨日の残りのカット野菜と豚バラに焼そば用蒸し麺でつけめん。そばは袋に水を入れてほぐそうとしたけどなかなかうまく行かない。野菜、麺、豚バラ、野菜と重ねて、レンジで五分。
うーーん、やっぱり焼きそば用だったか(笑)。たぶんソースとか塩で味付けするので麺の味は薄めなんだろう。

ひとことで言うとおいしくなーーい。

今年の桜2020

玉川事業場の横須賀線口側にある桜。
今年も咲き始めた。
以前ほど桜を見てもきれいだなあ、と思わなくなった。
よーく見るとわちゃわちゃしてたいしてきれいな花でもない。

一輪で「どうだ!」、と咲く花と違ってこちらは団体戦。
それにしては全体の気迫が薄すぎる気もする。なんかこう躊躇しているような。どうでもいいような。

団体戦ならここは一気に咲いて一気に散る。雨が降る前に何が何でも咲く、やぶれかぶれの激戦を見せてほしいところだけれど。

ただまあ。今年も桜は咲いた。世間には春が来たということだ。うちの春はいつくるだろう。

サクラサク

一昨日の朝。
このところのCOVID騒ぎでわたしの朝は遅い。
正確には起きて→ごみ捨てして→シゴトして→カッコいいやつで出勤というのが日常になりつつある。なんでもありだ。。

大崎で乗り換えてりんかい線に揺られているところに友人からメッセージが届いた。朝6:20に愛犬が旅だったそうだ。脳腫瘍が広がっていて一時はもう難しいかと思ったところから復活。ただの老犬だと笑っていたけれど、こんなに突然にその時が来るとは思わなかったと綴っていた。

こういう時にかける言葉を知らない。

ただ、ものすごく天気が良かったし、桜もほころび始めているし。
旅立ちにはいい日だと、これからずっと一緒にいられるねとだけ返信した。
なんだか泣けてきた。どんだけ鼻水垂らしていても、涙で目がうるうるしていてもおかしな人と思われない。ちょうど花粉症のシーズンでよかった・・。

こういう話を聞くとねぎちゃんを思い出す。
最期の時にはそばに居られなかったけれど、実際はいるのが怖かった。
居なくなるとしあわせだったか、楽しかったかと気にかかる。
けれど、考えてもせんないとある日気が付く。
此岸に居ても彼岸にいても、自分のことすらわからないのに自分以外のことがわかるなど到底ないのだ。
居なくなっても消えはしない、それだけは確かだけれど。

出先から戻る途中に咲いていた会社敷地のMy標準木。他のどの木よりも小さいのに、一番早く一番たくさんの花をつける。
陽ざしはあっても風が冷たい。咲きたての花は瑞々しくて触るとぴりりと敗れてしまいっそうな繊細さ。
この花は旅だったジミーくんに届けよう。

そうして、こちらの花はねぎちゃんに。コーヒーの葉のほうがよかったか(笑)

これは自分の(笑)

門前仲町「ん」の鰹のたたき

コロナだということで自粛。日頃の飲み会も送別会もなんもかんも自粛。
でも、たまにはおいしいものを食べに行こうとしたら、会社の近くは人目につくからよせ、ということで、門仲に鰹のたたきをたべに行った。

ここのお店の特徴は、とにかく部厚い。
以前は酔鯨があったけれど、もうあと1合(それも冷やしてない)しかないということでとりあえずそれをもらう。

鰹のたたきに塩が合うというのを初めて知った。
でも、最近粗食だったので、いきなりたくさん食べすぎて今おなかが苦しい。
しかし、、、意外とチープな感じの料理だった。

〆はTKG!

男女雇用機会均等法がもたらしたのは・・・

男女雇用機会均等法

入社したのは昭和最後の2年前の62年だった。年度は62年度。
この2年後の昭和64年1月8日からが平成に変わった。あともう3ヶ月ほどで昭和64年度が終わるところが、途中で改元となった。
昭和62年は西暦でいうと1987年。この前の年に「男女雇用機会均等法」が施行された。男女雇用機会均等法は正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」というそうだ。1985年に制定され、1986年施行された。内容としては企業の事業主が募集・採用や配置・昇進・福利厚生、定年・退職・解雇にあたり、性別を理由にした差別を禁止することなどを定めている。

最近の女子社員の人生設計

先日会社の同僚(男子)が、「今の若い女子社員は出世も望んでいなくて、そこそこ名が通った会社に就職できたので、あとはゆるゆると過ごしていきたいと思っている」と言った。
ここ数年、せっかく入社しても2~3年で退職する若手が増えていて、会社の中では問題になっているらしい。若手への待遇は手厚くなるばかりで、さりとてやめたがりはなくならないらしい。
前述の発言は、そんな若手社員(女子社員)へのヒアリング結果であるらしかった。「信じられなーい」といった面持ちで語っていたけれど、「信じられなーい」方が信じられなーい、である。それはごくごく当たり前の現象だろう、と思えてならない。

雇用機会均等法ができたころ

個人的にそこまでの待遇の違いがあると感じてはいなかったけれど、世間ではちょうど社会党の土井たか子が台頭してきたころだったし、政治の世界でもとかく派手な色のスーツの女性議員が増えてきた頃だったと思う。右を向いても左を向いても、新しい法律に戸惑うような感じのご時世だった。
たぶん、世の中の女性は今や死語となったウーマンリブを旗印に自分たちも男性と同様に働けると鼻息荒かったのだろうと思う。

雇用は均等になったけど・・

結婚したり、子供が生まれたりすることを契機に辞める女子社員はかなりの数がいた。たぶん入社時の1/3強は女性だったと思うけれど、今残っているのは自分も入れてたぶん2~3人だ。絶対やめないだろうと思っていた同期すら、最後には辞めていった。それは辞めざるを得ない状況もあっただろうけれど、実際のところやっぱり辞めることを前提で就職していた向きがないとはいえない。
一方で、結婚しても出産しても会社を辞めなかった自分には、たとえ休職していても社会保険費の支払いは必要で、収入が0なのに持ち出しで会社の口座に振り込まなければならなかった。もちろん、今でも独身と同じ扱いの税金も保険料も収めている。つまり、扶養家族にはなれなかったということである。7月頃から出産休暇、9月に出産して、続いて育児休暇、翌年4月には復職した。
ちょうどプロプラが廃れて汎用OSであるWindowsやUnixやLinuxが出てきた頃だった。復職してもできることなどないのではないかと焦った。

あれから随分制度もかわった・・

時分のときから数年後にはもう休職中の社会保険費用の支払いは不要になった。結婚を機に異動にこそならなかったのがせめてもの救いだったかもしれないけれど、あれこれ苦労したのが夢のような制度改革が次々あって、今は入社に際しても男女の区別はなし、妊娠・出産して復職した後のケアまで手厚い。女性管理職の少なさを指摘されれば登用枠をわざわざ設けたりする。
従業員を(労働力を)減らさないことのほうが重要だと思われているのだろう。

これ以上ない環境で思うことは・・

以前は子供が熱を出して休むことさえはばかられた時代だったけれど、今は破格の待遇である。自分がどうしてもやりたいこと、がなく会社に居られさえすればよいのなら、会社が言う通りに作業をして息長く暮らしていく方がいい。
女子の待遇改善に躍起になる必要もない、子育ては何より重要な作業で時としてそれは顧客を凌駕する。迷惑をかけるくらいなら、最初から適当なポジションに位置していた方がいい。

・・・だって、それでも待遇は悪くならないんだし♪

というのが今の女子社員のホンネなんじゃないだろうか。確かにどれも大事な作業だし、どれもある意味正しい。

男女雇用機会均等法がもたらしたものは・・

なんだったんだろう・・?
会社人間といわれて24時間休まず働いて、時期が来て定年になったら家の中には居場所すらなかった、という笑えない話があるけれど。女性の社会進出が確かにこの法令を契機に飛躍的に進んだのは確かだ。男性に負けまいと必死で頑張った人たちもたくさんいた。シゴトに時間を割く分手に入れることができなかったことも多々あるだろうし(実際あったし)、なんとか折り合いをつけてシゴトを続けてきた人も多かっただろう。確かにシゴトの場にいれば、忙しく充実した毎日を送れたかもしれない。視野も広がったかもしれない。けれど、家で居場所がなくなったおじさんたちと同様の現象がこれから仕事を辞める女性には起こるのかもしれない。
子供を、家庭を最優先に考えること、あまり苦労せずそこそこの給料をもらうこと、責任をあまり追わず作業できること、女性だからといって軽視されず、でも大事にしてもらえること。
男女雇用機会均等法がもたらしたものは、もしかすると働く女性の発言力と生活の水準を上げただけで、実は法令施行前に回帰しているだけかもしれない。