SNSは誰のため

Facebookの投稿はわりとよくするほうだと思う。つながっている友達の多くは同級生で、当時あまり縁のない人も多い。考えてみればそれもまた不思議な縁である。
Instagramも自分でいい写真が撮れたと思えば投稿する。人を撮ることはまずない。たいてい風景だったり、電車だったり。
どちらも時間に縛られない情報共有型。投稿してもしなくても、投稿を見ても見なくてもどちらでもいい。このゆるさ。けれどどこかに「属している」という感覚がいい。
LINE。使いはするけどめったに使わない。これなしでは生きていけないという人もいるけれど、生きてる。相手に必ず返信を期待するインタラクティブ型。めったに使わないけれど、使うときには使う。PCを開いているときには、LINEよりもMessengerを使うことのほうが多い。シゴトがらタイピングはそこそこ速いので、PCで使えるMessangerのほうが便利。

けれど、、あれだ。最近ちょっと疑問に思えてきた。
InstagramやLINEはともかく、なにかを広告したいというわけでもくFacebookに投稿するのはなんだろう?やっぱり、誰かに何か言ってほしいからだろうか。投稿するときは比較的長い文章を書く性質だ。自分の書いたものを何度も推敲して投稿する。SNSとは言えないおそろしくまどろこしい投稿は、つまるところ何か書きたいからなのだと最近気が付いた。文章をおこすという作業は、アタマの中を整理するのに役にたつ。表現することで自分の言いたいこととか、考えていることが自然と整理されることがある。誰かに説明しながら自分でそういうことか、と納得するのに似ている。でも、それならばいっそSNSでなくてもいいんぢゃない?

ということで、サーバをレンタルしてブログサイトを立ち上げてみた。
決まったテンプレートの範囲ではあるけれど固定ページも作れるので、これでポータルも作ってみた。お気に入りのリンク集みたいなものである。ブラウザのトップページをいちいちパソコンに保存していなくてもどこからでもっ見ることができて作業ができる。
スマホでもパソコンでもほぼ同じような操作性と見た目なので、Facebookのように出先で撮った写真をそのままアップすることもできる。Facebookにもあるけれど使えたことのない下書き機能も用意に操作できる。便利である。

FacebookはFacebookでよいとして、当面日々思うことはここに書いていってみようと改めて思った。

働き方改革ってなんだ?

働き方改革

「働き方改革」という言葉はどこから出てきたんだろう。
かれこれ何年かこの言葉を聞いているような気がする。
調べると2018年6月に法案として可決されて、2019年4月が施行だった。
そもそも・・なんのためにこんなことを始めたかというと、人口減少で働く人が少なくなるから、それを救済するのが目的だったらしい。救済するにはどうすればいいのか・・・と考えた結果がこれである。
「働き手を増やし、出生率を上昇させ、労働生産性を向上させる」
つまり、子供を産んで人口を増やしなさいということらしい。考えようによってはダイレクトな政策だけれど、植林と同じくらい時間を要する政策だともいえる。
絶対数が決まっていて、一人当たりの労働時間を制限した状況で「働き手を増やす」には、つまり「働いていない人は働きなさい」だ。きわめて画一的だと思う。
とはいえ、、昨日まで家にいた人に今日から外で働きなさいといっても土台無理な話。
この路線でいけば、もう一つできることがある。「働いている人は生産性をあげなさい」である。 つまり、「残業でこなして成果を定時間内に出しなさい」だ。ある意味妥当だとは思うけれど、一律にできるものでもない。
結局、あまりにもユースケースが多すぎて、すべてを一通りのルールでくくるのはかなりハードルが高い、ということではないかと思われる。
「働き方改革」で、本当に労働人口は増えて、出生率は上がるんだろうか。

ドイツの働き方

よく引き合いに出される製造業が主力のドイツの働き方。日本と比べると年間で350時間くらい労働時間が短いらしい。便宜的に1日7時間働く計算だと50日くらい。実働1ヶ月20日だとすると2.5ヶ月も短い。けれど生産性は日本の1.5倍らしい。
ただし、日本では当たり前のお店のお土日営業は限られているし、サービスもよくはないらしい。
逆に言うと、土日に営業して、おもてなしを最優先に考えると年間で2.5ヶ月分余計に働かないといけないということか。

便利さか?

平日に働いている人は、土日にまとめて家事をしたり家族サービスをしたり。とにかく「先送りした作業を」休みにこなそうとする。買い物も片付けもおしなべて平日はできる範囲で土日にまとめてやる主婦も多いと思う。いまでこそ洗濯は毎日多いときには朝晩にするけれど、若いころ一人暮らしをしていた時には土曜日にまとめて一週間分の洗濯をしていた。汚い話である。
いずれにしても、土日に買い物に行こうとするとスーパーは開いてなくては困るし、遊びに行こうとすると観光地のお店や飲食店が営業していないと大変なことになるだろう。
仮に・・・日本のお店が一律土日祝日に休んだとして。どうなるか。
・買い物や片付けは平日に休みを取れば行ける。
・観光は、長い休暇を利用すれば行ける。
・営業する側からすると、同業者との競争を完全に抑止できれば(平日だけで勝負になれば)安心して休める。
なるほど、こう考えるとドイツでどうして土日にお店が閉店できるのか、休暇が長いのか、労働時間が短いのかがわかるような気がする。

豊かさか?

「豊かさ」というのはなんだろう?と考える。人によって尺度が違うから一概には言えないけれど、最初に思いつくのはやっぱりお金だと思う。夢だけでは生活はできない。
次に考えつくのは保障。いろいろあるけれど、健康保険であったり、行政サービスであったり、生活するうえで必要なサービスが受けられること。
3つ目は何だろう・・と考えて、はたと行き詰る。さて、なんだろう。
自分で自分の「豊かさ」がわからんとは。この辺りはもう少し考えないといけないところだと自省。

定年延長

さて、それで働き方改革。
なんとなく働き方改革=テレワークのようなイメージが定着しつつあるような気がするけれど、もともとの主旨からするとそうじゃない。テレワークはあくまでも手段であって目的ではない。テレワークをしても生産性が維持もしくは向上できなかければ働き方改革にはならない。
もう一つの顕著な傾向が定年延長。昔は55歳が定年、今は60歳、たぶんそのうち65歳になるだろう。そのぶん年金支給開始年齢が高くなるのだから、これはもう「年金使いこんでます、払えません」と言われているようなものじゃないかと時々思う。
2020年になって会社のルールが変更されて役職定年(56歳)が撤廃された。それまでは56歳から60歳まではスタンドプレーヤーとして会社に残るか、セカンドキャリアで別の仕事を探すか、はたまた辞めるか、だったのが、いきなり現役続投である。正直管理職も面倒になっていたので、これは少々がっかりした。
労働人口を増やさずして、労働期間を延長するとは。。別の見方をすれば確かに本来なら第一線でなくなる人をそのまま残すわけだから、労働人口としては増える試算になるのかもしれないけれど。抜本的とは言えない。

そして、働き方改革

働く人を増やしたい。つまり子供を増やすことと、年寄りが働くこと。
なにやら戦時中の趣のような気もする中、ふと思いついた。
たぶん、今のままの働き方改革では成果はでない・・・。
テレワーク・・悪くない。悪くないけれど、できた余裕は自分の生活のために使われるのだろう。
年寄りのシゴト・・悪くない。悪くないけれど、なにを?
これまで長らく続いてきた「風習」を突然の政策で切り替えるのはかなりハードルが高い・・・たぶん。人は「やらないといけない」あるいは「やりたい」と思うことでなければやらない。
働き方改革は、会社がテレワークをすることでは取り組みとは言えない。会社はテレワークで個人の自由時間を増やして、あとはご自由に、というスタンスだと思う。もっと広範囲、たとえば、世帯とか自治体とか県とか、縦横のつながりを俯瞰的に見て取り組まなければ実現しないのではないかと思えてならない。

さよなら保育園

いまだに覚えている。この歌に2番の歌詞はあったんだろうか。
検索しても出てこないので、もしかするとオリジナルだったのかもしれない。

さらさらはるの おがわのほとり
つくしのぼうや かくれんぼしてる
さよなら さよなら ほいくえん
さよなら さよなら ほいくえん

保育園の思い出

  • 園のシンボルだった銀杏の大木は、理由はよくわからないけれど、ある時切られていた。毎日電車に乗るときに見ていたのに、保育園の近くまで行ったのは本当に数えるほどだった。秋の銀杏の匂い、今でも覚えている。みんなは臭いというけれど、わりと好きだった。
  • 園の建物はL字型。端っこに少し大きめの教室があって、お遊戯会はそこがステージだった。
  • 雪の舞うクリスマス会でサンタさんからもらったのは3色のくねくね曲がって形を変えられるチョークのような形のおもちゃだった。
  • 鉄棒から落ちて、踏み台のコンクリートブロックにおでこをぶつけて、擦りむいたところにつけてもらった薬は、オロナインと赤チンで朱肉のような状態になった。
  • 年長の時のお遊戯会でアタマにかぶった烏帽子は、紙製で金色の紙を貼り付けて作るのだけれど、編み物教室でみんなで作って一番きれいなしわ一つない烏帽子は、なぜか友達の頭に乗った。
  • 黄組の頃、食べるのがとろくさくて、最後の楽しみにとっておいたミカンを緑組の川瀬さんという女子が奪っていった。彼女は今元気なんだろうか。
  • 年長さんになるとお弁当に菓子パンを持って行った。毎朝近所の雑貨屋で好きな菓子パンをひとつ買って鞄に入れていった。チョコかけとサンライズとデンマークロール。今でも大好きである。
  • お昼寝の布団は緑の小花のシーツだった。いつもなかなか寝付けなくて、いったん寝ると起きられない。50歳くらいまで直らなかったな・・。
  • ミルクは牛乳ではなく脱脂粉乳。これがまずい。非常にまずい。一度こぼしたことがあって、こぼれた形が怪獣に似ているとからかわれた。泣いたかどうか覚えていないけれど、きっと泣いたんだろう。
  • 大人になってから、制服のポケットにはいつも食べられなかったおやつのお菓子がチリシにくるまれてはいっていたと母親から聞いた。そんなこと何も覚えていない。お迎えが来るまで柵につかまって待っていたことも。
  • 卒園間近になって、ひらかなの練習をした記憶がある。きっと幼稚園から来た子と差がでてしまうからだろうね。
  • トイレにはクレゾールを溶かした水が琺瑯製の洗面器に入れてあって、手を洗った後消毒した。ハンカチはいつもクレゾール臭かった。
  • ハンカチは真ん中に大き目のボタンをくるんで、ゴム紐で止めて、そのままゴムひもを斜めがけにしていた。確かに洗濯が楽。斜め掛けとかって意外とトレンドだ。

こうしてみると、、、あまりよい思い出がないなあ。
ほとんどの子は西条小学校へ行った。わたしは数少ない寺西小学校だった。
小学校の低学年くらいまでは、4月生まれと3月生まれの差は顕著だ。生まれてからの時間が1年も違うのだから仕方がない。ランドセルに背負われ、線のか細い子供だっただろうと思う。受難の数々、全部は覚えてはいないけれど。

誰が・・これほど傲慢な人になると思っただろうか(笑)。