さよなら保育園

いまだに覚えている。この歌に2番の歌詞はあったんだろうか。
検索しても出てこないので、もしかするとオリジナルだったのかもしれない。

さらさらはるの おがわのほとり
つくしのぼうや かくれんぼしてる
さよなら さよなら ほいくえん
さよなら さよなら ほいくえん

保育園の思い出

  • 園のシンボルだった銀杏の大木は、理由はよくわからないけれど、ある時切られていた。毎日電車に乗るときに見ていたのに、保育園の近くまで行ったのは本当に数えるほどだった。秋の銀杏の匂い、今でも覚えている。みんなは臭いというけれど、わりと好きだった。
  • 園の建物はL字型。端っこに少し大きめの教室があって、お遊戯会はそこがステージだった。
  • 雪の舞うクリスマス会でサンタさんからもらったのは3色のくねくね曲がって形を変えられるチョークのような形のおもちゃだった。
  • 鉄棒から落ちて、踏み台のコンクリートブロックにおでこをぶつけて、擦りむいたところにつけてもらった薬は、オロナインと赤チンで朱肉のような状態になった。
  • 年長の時のお遊戯会でアタマにかぶった烏帽子は、紙製で金色の紙を貼り付けて作るのだけれど、編み物教室でみんなで作って一番きれいなしわ一つない烏帽子は、なぜか友達の頭に乗った。
  • 黄組の頃、食べるのがとろくさくて、最後の楽しみにとっておいたミカンを緑組の川瀬さんという女子が奪っていった。彼女は今元気なんだろうか。
  • 年長さんになるとお弁当に菓子パンを持って行った。毎朝近所の雑貨屋で好きな菓子パンをひとつ買って鞄に入れていった。チョコかけとサンライズとデンマークロール。今でも大好きである。
  • お昼寝の布団は緑の小花のシーツだった。いつもなかなか寝付けなくて、いったん寝ると起きられない。50歳くらいまで直らなかったな・・。
  • ミルクは牛乳ではなく脱脂粉乳。これがまずい。非常にまずい。一度こぼしたことがあって、こぼれた形が怪獣に似ているとからかわれた。泣いたかどうか覚えていないけれど、きっと泣いたんだろう。
  • 大人になってから、制服のポケットにはいつも食べられなかったおやつのお菓子がチリシにくるまれてはいっていたと母親から聞いた。そんなこと何も覚えていない。お迎えが来るまで柵につかまって待っていたことも。
  • 卒園間近になって、ひらかなの練習をした記憶がある。きっと幼稚園から来た子と差がでてしまうからだろうね。
  • トイレにはクレゾールを溶かした水が琺瑯製の洗面器に入れてあって、手を洗った後消毒した。ハンカチはいつもクレゾール臭かった。
  • ハンカチは真ん中に大き目のボタンをくるんで、ゴム紐で止めて、そのままゴムひもを斜めがけにしていた。確かに洗濯が楽。斜め掛けとかって意外とトレンドだ。

こうしてみると、、、あまりよい思い出がないなあ。
ほとんどの子は西条小学校へ行った。わたしは数少ない寺西小学校だった。
小学校の低学年くらいまでは、4月生まれと3月生まれの差は顕著だ。生まれてからの時間が1年も違うのだから仕方がない。ランドセルに背負われ、線のか細い子供だっただろうと思う。受難の数々、全部は覚えてはいないけれど。

誰が・・これほど傲慢な人になると思っただろうか(笑)。

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