コロナショックとテレワーク

テレワーク。いうまでもなくコロナ対策である。SARSの時ですらこんなにひどくはなかったと思う。

実はオリンピック対策として、最近だとコロナ対策としてテレワークが表舞台に出る前から、ずっとテレワークはしていた。正確に言うと、会社に行くメリットがあまりない日はテレワークだった。
以前ほど「会社にいること」は重要視されない。会社に行けば余計な雑音も入ってくる。何かを管理することだけが業務ならそれでもいいのかもしれないけれど、例えば午後から客先訪問するための資料がまだできていない、そしてそれを自分が作らないといけないというときは、余計な雑音は不要である。
今のように却ってテレワークが当たり前になってくると、そういうメリハリとは関係なく在宅でパソコンに向かうことになる。

結論から言うと、テレワークはそれが一番効果が高いという場合でなくては本来あまり意味がない。
1)生産性が高い場合
集中して調べたり、考えたりする場合や、電車で会社に行って、またさらにそこからどこかに行く。移動時間する惜しいときにはテレワークがいい。目的に向かって同じベクトルにあるとき、一緒に作業をするメンバとのやり取りもおのずと活発になる。
2)メンタル的な休息
全部の情報ではなく必要な情報をピックアップして最低限の対応で済ませることができるのは、特に疲れているときには効果的。結果的に良い成果を生むことのほうが少ないので、あくまでも副次的な使い方でしかないと思うけれど。こういうのは、Facebookに似ている。
3)パンデミック防止
ちょうど今のような状況。物理的な人との接触が危険といわれるときにはもちろん役にたつ。成果は二の次の場合である。

勘違いテレワークも多いと思う。実際自分でも雨の日は会社に行きたくない。予定表を見てリモートで済むようなそうしてしまう。働き方改革=テレワークとはちょっと違う。テレワークをしていて、自由な働き方を推奨するのに、自宅で子供の面倒を見ながらテレワークはおかしいと言ったり、体調が悪いからテレワークはおかしいという。もともと境目がはっきりしていない。
本当に働き方を改革するなら、労働時間よりも就労意識のほうが大事なんじゃないだろうか?

それもこれも、、労働時間が実際長くて疲弊してしまう労働者とやっていることが楽しくて苦しいけどうれしいという労働者の区別がつかないからかもしれない。もしかすると残業代がかさむのを防止するための体のよい言い訳なのかもしれない。
「会社」とか「学校」とか。とかく組織というものは、一律のルールにしなければまとまりがつかない側面があって致し方ないところもあるけれど、どうやったら楽しんでやっているのかどうか見分けがつくようになるんだろう。

一つ思うのは、日本の会社は自分も含めてきっと管理がへたくそなのだ。人情とか横連携期待とかでプロジェクトを進めようとする。顔色、声音、空気感で状況を把握しようとする。テレワークにするとそういったことができない。
実は楽なようで楽ではないテレワーク。そういう状況で尺度を持たない進め方を美徳としてきた管理はハードルの高い作業になるだろう。

コロナが収束して(すればだが)、落ちるところまで落ち込んだ景気とか、遅れに遅れた対策とかが露呈したときに、また何か見えてくるような気がしなくもない。
そして、オリンピックは本当にあるのか・・・?コロナ収束直後の日本に来たいという人などいるのだろうか。

https://toyokeizai.net/articles/-/332952